ジャンク フジヤマ JUNK FUJIYAMA

TALK

金澤寿和ジャンク フジヤマ

対談前編

金澤寿和×ジャンク フジヤマ

縁あって、09年のインディ・デビュー時から接する機会が多いジャンク フジヤマ。15周年を来年に控え、新たなステージに立とうとする彼に、おそらく業界一、彼のライヴ・パフォーマンスに多く接しているであろう自分が、少しくだけた本音トークを行なうことになった。これまでのキャリアをざっと俯瞰しつつ、ニュー・アルバム『DREAMIN’』を語っていく。

元々は学生時代に組んでたバンドが、デビューへの足掛かりになったんだよね?ハヤオキ×だっけ?
そうです。ギターが羊毛とおはなの羊毛クン、ドラムが大橋トリオとかでプレイしてる神谷洵平で。2年半ぐらいかな。大学の同級生と外で募集したメンバーが混在してたんですが、そのうち半分がプロになったという、いま考えると贅沢なバンドでした
最初のアルバム『A color』は、どうやって生まれたの?
バンド解散後、ソロでライヴハウスに出たりしているうちに、アルバムを作ろうと思い立って。活動しながらキープしていた人脈を使い、ドラムは神谷洵平に頼んで作りました。最初は打ち込みで始めましたが、やっぱりナマでやりたくて、予算はなかったけど4曲バンドで一発録りして。でもそのライヴ感が良かったみたい

後にボーナス・トラック5曲を追加して再発された『A color』。実際ジャンクのライヴで必ず歌われる<秘密>や、デュエット定番<122>など、初作にして好曲多数。オリジナル盤では髪が短い若き日の姿も拝める。

このCDを出すのに使ったのが、ジャンク フジヤマというステージネームだったの?いつから?
1人でやるに当たり、何か芸名みたいのがあった方がいいんじゃない?ということで。バンドの時から“(山下)達郎さんっぽい”と言われていたので、そこは避けられないだろうな、と自覚して、どうせ突っ込まれるなら自分から“ニセモノ”ですよ、と。達郎さんから受けた影響や好きな気持ちに変わりはないので、そこは心からのリスペクトを込めて。でもどうせやるからには、テッペン取りたい、狙いたい。そこで日本一の富士山から“フジヤマ”。本名は藤木ですが、そこは一切関係ないんです

こうして自主制作でCDを出すと、火が点くのは早かった。学生時代の人脈で、某リテールの店長に音を聴いてもらったところ、すぐオーダー。そこから新宿の大手ショップに話が回り、更に渋谷店へ…、という自然な成り行き。ホンモノの音が届くべき所へ届けられたら、無理に売り込まずともちゃんとリアクションがある、という好例だ。かくいう自分も、某音専誌編集者から「タツローみたいで面白いのがいる」とウワサ話を聞いてたところに、知り合いから「聴いてみて」と手渡されたCDが、まさに『A color』だったという偶然。でも今になって思えば、アレはきっと必然だったに違いない。

CDが100枚入るダンボールが5〜6箱、家にドッカン届いて、どうすんのコレ〜?みたいな。“配っていい”と言われましたけど、それにしたって枚数多すぎって。ところが当時の事務所から“すぐ戻して”って連絡が来て、あれよあれよと言う間に…
(村上)ポンタさんと出会ったのは、その頃?
CDを出したのは09年4月で、周りがワイワイし始めたのが夏ごろ。そのあと秋口にポンタさんに紹介されたんだと思います
初ポンタさん、どんな印象だった?
ポンタさんがライヴを演ってた所へ挨拶しに行ったんですけど、休憩中に会ってくれて、いきなり葉巻を燻らせながら、“オォ、お前か、大バカ野郎は? まずはライヴ演ろうぜ”っていきなり言われて。メンバーも“オレが集める。誰がいい? 坂本龍一か?”って。そんなのムリだろ〜ッ、と内心思いつつ、その垣根のない感がスゴかった。それで11月に初めてのブルース・アレイ。その時のパフォーマンスの一部は、『JUNKTIME』というライヴ盤になってます。その時自分は録られてるのを知らなくて、後でビックリしたんですけど
まだ駆け出しで、ビビったりしなかった?
ビビリはしなかったけど、まったく無名なのにお客さん来てくれるのかな?と。でもせっかく頂いたチャンスなので、思い切り楽しんじゃえ!という気持ちでした。やっちゃえば勝ち!みたいな(笑)まだオリジナルが少なかったので、“ならカヴァー演ろう。達郎とか”って言ってくれたのもポンタさん
開き直ってジャンクと名乗ったけど、カヴァーとなると、サスガに照れとかなかった?
オギャーと生まれた時にはもう<RIDE ON TIME>のヒットがあって、『FOR YOU』が売れてた世代です。ラジオも毎週聴いていたし、ライヴも観に行ってました。ちょうど達郎さんと自分の親父が同い年なんです。だからと言って、息子が父親を乗り越える、というのも全然違う。僭越ながら、という気持ちは常にありますけど、それぐらい偉大な存在だし、君臨し続けていいただきたいですね
でも、入り口は達郎さんのコピーだったかもしれないけれど、実際にジャンクを観たり聴いたりした人が、その実力を認めたから今があるワケでしょ。もちろんアンチだっているんだろうけど。
本当はそういう人にこそライヴを観に来て欲しい。質感とか違いを肌で感じてもらえますから。それが伝わるライヴを演っている自負もある
<LOVE SPACE>なんか、達郎さん当人がファルセットで歌っている箇所を、ジャンクは地声で行っちゃう。そういう凄みがあったよ。
達郎さん楽曲で最初に音源で出したのは<SOLID SLIDER>で、それも随分時間が経ってからでね(16年のライヴ盤『JUNKFLASH』に収録)。データで音をもらって、神谷洵平の家で一緒に聴いてて、“めちゃロックしてるじゃん!”“すげェな、コレ!”って他人事のように話してて。演奏の深みとか歌の息づかいが、シッカリ伝わってくる。そういうところを感じて欲しいんです

金澤寿和×ジャンク フジヤマ

徐々に知名度が上がってきたところで、キャッチーな曲を作ろうと書いたのが<Morning Kiss>。ライヴではキメの手拍子で親しまれ、その後もハンドクラップ系楽曲の系譜に連なっていく。

神谷洵平との共作。首都高が見下ろせる場所に籠ってね。♪瞳にキッス♪というワンフレーズが浮かんで、そこから広げていきました。♪そうさ♪という歌詞は、アレンジ段階でのハメ込み。手拍子はホール&オーツ<Private Eyes>がヒントでした
ジャンクは共作が多いけど、普段は曲先で書いてるんだよね?
そうです。オーダーで書いてもらう時は、予めザックリした曲のイメージだけ伝えて、できてきたメロディを聴いてから歌詞をつけるパターン

そうして順調にファンを増やし、メジャーへ移籍して<あの空の向こうがわへ>のヒットを放つ。

アルバムのレコーディングを進めていて、シングルをどれにするかはまだ決まってなかった。その中で<あの空〜>が真っ先にタイアップが決まって。ディスコ・ビートにシティポップっぽいメロディが乗ってましたから、分かりやすかったんでしょう。僕が自分で書くと、もっとイナたいファンクに寄ってしまうので…(苦笑) そしてアルバムから立て続けに3枚シングルを切り、それをすべて永井博さんのアートワークで行くと
当時建設中だった東京スカイタワーに使われるエレベーターのCM。露出が多かったのがラッキーだったね。
いくつか尺の違うヴァージョンが作られたんですが、中にはヴォーカル・パートがあまり出てこないのもあって、それはナイでしょうと修正してもらって。でも最終的には、アルバムのほとんどの曲にタイアップがついてくれて感謝してます

現在ではライヴ定番であるだけでなく、ジャンクの名刺代わりのナンバーとして親しまれている<あの空の向こうがわへ>。そして最近は、若手シンガー・ソングライター/サウンド・クリエイターの神谷樹とがっぷり四つに組んで、『Happiness』(20年)、『SHINE』(22年)をリリースしてきた。

最初は、配信シングルで出した<僕だけのSUNSHINE>をお試しで書いたもらったんだけど、殊のほか評判が良くて。前後してライヴにも入って、経験を積んでもらっています
最初はギターとコーラスだったけど、そのうちバンマスになってた。
そうそう。ポンタさんや岡沢章さんみたいな大ベテランがいるバンドを一番若いのが仕切るんだから、そりゃあ大変なプレッシャーだったと思いますよ。彼も普段は部屋に籠って、PC相手に打ち込みで音楽を作っているから。でもそれだけ貴重で得難い体験をしているので、成長も早いんです
ここへきて、達郎さんカヴァーも5曲連続でデジタル・リリースしたよね。<SPARKLE> <RIDE ON TIME> <DOWN TOWN> <LOVELAND,ISLAND> <高気圧ガール>。<SPARKLE>と<RIDE ON TIME>はアナログ・シングルも出た。
最初の4枚は敢えてオリジナルと同じアレンジで。どうやったって何か言われてしまうなら、逆にオケはそのままにした方が、ヴォーカルの違いが浮かび上がるかな、と思いまして。その代わり5枚目の<高気圧ガール>だけは樹くんと相談して、あの印象的なコーラスを一切使わずに大胆に変えてしまおうと。それでひと区切りつけました

対談後編

金澤寿和×ジャンク フジヤマ

そしてこの『DREAMIN’』からが新たなステージ、いわば第2章の始まりだ。

前2作『Happiness』や『SHINE』との違いは?
作品的には今回も神谷樹クンとのコラボレイトが中心なので、大きな変化はありません。でも彼に任せる部分が増えつつも、口を出すところはガッツリ主張して。それだけ自分のカラーを強めた、ということかな。彼も2枚一緒に作ってきましたから、僕が望むところをシッカリ把握してくれる。互いの理解が深まっている分、より作りやすかった

 …とはいえ楽曲提供には、<あの空の向こうがわへ>や<To The Sky>などを書いている準レギュラー的な坂本竜太、『Happiness』に<明日あいましょう>を提供したキーボード奏者:半田彬倫と、いわゆるジャンク・ファミリーの面々も。そして今回は、やはり<Butterfly>や<僕らのサマー・デイズ>を書き下ろしてきたシンガー・ソングライター:新妻由佳子が、レコード大賞編曲賞を受賞しているベテラン作編曲家:山川恵津子と<UTOPIA>を共作した。彼女はシティポップの伝説的ユニット:東北新幹線、かつては八神純子や谷山浩子をサポートしたことでも知る人ぞ知る存在。

<UTOPIA>は従来のジャンク・サウンドとは完全にテイストの異なる世界観だよね。でもそれでアルバムにスケール感が出た。ただのシティポップ作じゃないぞと。
斬新ですよね。曲を頂いてすぐ、難しい曲だなぁ〜と悩みました。そして何とか自分のモノにしようと咀嚼する中で、どうしても自分の歌い回しと相容れない部分を山川さんに相談し、少し修正させていただいて…
何でも“低音の魅力を活かせる曲を”と、オーダーしたとか?
だから最初のデモは、ちょっとボサっぽい内省的なバラードで、マイケル・フランクスを少し明るくした感じで。でもそれだとアルバムから浮いてしまいそうでした。それで樹クンがキリンジあたりに寄せてガラリとアレンジを変え、収まりが良くなったんです。山川さんにもOKをいただけてホッとしました
最後に1曲カヴァーがあるよね。布施明の<君は薔薇より美しい>。アレってバックがGODIEGOで、DJたちも結構サラ回しててクラブ・ユースになっていた。確かジャンクもライヴで取り上げていたことがあったよね。
そうなんです。元々好きな曲なので、候補に上がってきた時点で、こう演りたい!というイメージがあった。16ビートで、しっかりとリズムを前に出して、って。ちょっとだけ冨田ラボさんを意識したかな
楽曲的に、もっと濃い感じで来るかと予想してたけど、意外に軽い仕上がりだったね。
原曲がガッツリ歌い上げてる曲でしょう? 僕がそれをやると、暑苦しくてうるさくなっちゃうんじゃないかと…(笑) それでライトな感じで、サラッと聴ける体にしました。それを樹クンに伝えたら、すぐにピ〜ンとイメージできたみたいで。だから完成は早かった。それがここ2作で構築してきた関係性でしょうし、互いの信頼感だと思います。単に相手の言ってることが理解できる、ってだけじゃなく、なぜそう言ってるのか、思考回路まで分かる。だから噛み合った時はメチャクチャ早いんです。ただ彼も一人でアレンジしてるので、楽曲によってはノー・イメージの時だってある。だからコチラもある程度のガイドは用意しておくの。樹クンが煮詰まっている時には、それが役立ちます

金澤寿和×ジャンク フジヤマ

2曲の先行シングル<CATCH THE RAINBOW>、<雨あがりの街>はアルバム・ヴァージョンでの収録。そして次のリード曲は<あれはたしかSEPTEMBER>。これがなかなか印象的。

爽快なスピード感が気持ち良いトラックだよね。意外にこれまでなかったタイプ。
レコーディングしてる最中は、自分も曲を書いた樹クンも、それほど突出した感じはなかったの、実は。ところが歌入れして、コーラスも録り終わって、ミックスして聴き返したら、ストンと腑に落ちた。みんなが一聴して、“あ、コレだコレだ”って。自分で言うのもナンだけど、ホントに良くなった。突然化けて、響き渡ってる感じがしたの
もっともジャンクの場合、ヴォーカル・スキルには何の問題もないから、その曲をどういう風に表現するか、ってところだよね?
最近はマイクの前に立つ以前に、ほとんど仕事は終わっている感じです。家とか電車の中で音源を聴きながら、どう歌うかイメージを広げておいて、あとは現場でそれを実践する。そこでみんなに納得してもらえるか、そうじゃないでしょ!って覆されるか。今はそれがスムーズに進んで、アレンジャーやプロデューサーとも同じ方を向いて作業ができている。“やっぱりそう来るよね〜”って感じで(笑)
樹クンとのフル・コラボレイトもこれで3作連続。完成形が見えてきた?実際に前2作よりシッカリ手応えがあるようだし、安定感の中にも新味が感じられる。そうなると、今後はこれをベースに、何曲かは別の誰かに委ねる選択肢もアリかな?
そうですね。彼自身の活動もありますし。でも仮に他の方が入ってきても、それを受け入れられる自分でいたい、と思ってます
現在は世を挙げての世界的シティポップ・ブームじゃない?誰もこんなコトになるとは思ってなかったと思うけど、世代やスタンス、捉え方によって、シティポップ好きにも解離や分裂がある。ジャンクは世代的・キャリア的にちょうど中間だけど、どう見てる?
どちらとも会話できるポジションですよね。20代〜30代アタマの若いミュージシャンは、ベテラン世代との付き合い方をまだ知らない子が多いの。やりたいことをやらせてもらいつつ、相手を立てるトコは立てる。萎縮しちゃうんじゃなくて、どう懐に飛び込むか。そういう感覚がないと、相手も心を開いてくれないんですよ。僕はラッキーにもポンタさんに揉んで頂きましたから、樹クンや若いミュージシャンには“よく見とけ”と言ってます

ニュー・カマーとして見られていたジャンクも、気がつけばもう中堅。イヤ、続々新人が出てくるシティポップ界隈では、既にベテランの域に達していると言っていい。それでも果敢に自身のキャリア・アップを図りつつ、後継の指針にもなろうとしている。頼もしさを増したジャンク フジヤマに、今まで以上の大いなる期待を寄せていきたい。

金澤寿和/Toshikazu Kanazawa

AOR、シティ・ポップを中心に、ロック、ソウル、ジャズ・フュージョンなど、70~80年代の都会派サウンドに愛情を注ぐ音楽ライター。CD解説や音楽専門誌への執筆の傍ら、邦・洋ライトメロウ・シリーズほか再発シリーズの監修、コンピレーションCDの選曲などを多数手掛けている。現在、ライフワークである洋楽AORのディスクガイド『AOR Light Mellow Premium』シリーズが進行中。ほぼ毎日更新のブログは、http://lightmellow.livedoor.biz